京都紹介・・・紫式部と紫野 紫式部の墓

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京都の北区、大徳寺の東南、北大路堀川を南に50mほど行った西側に人知れず紫式部の墓所がある。
ここには紫式部と時代が違う、小野篁の墓が隣に祀られている。
平安京の北には七野があり、その一つが紫野である。
この墓所のある地名は紫野西御所田町という。
七野には内野(うちの)、北野(きたの)、平野(ひらの)、蓮台野(れんだいの)、柏野(かやの)、紫野(むらさきの)、神明野(しめの)があり、現在は賀茂斎院跡となる櫟谷七野社にその七野の神々が祭られている。
源氏物語の作者、紫式部は詩文に優れた藤原為時の娘で幼少より聡明で、兄より先に史記をそらんじたという。
夫藤原宣孝に嫁して賢子をもうけたが、二年で夫と死別する。
そして、一条天皇の中宮彰子に仕え、「楽府」を進講するなどの傍ら、幼児を抱えた不安な生活の中、源氏物語の執筆に励んでいる。この賢子は後の後冷泉天皇の乳母(大弐三位)である。
このお墓には顕彰碑があり、角田文衞博士により、「河海抄」の記述からこの地が紫式部の墓である信憑性が高いとされている。
平安時代のこのあたりには「賢木」の舞台となる雲林院と、その塔頭の白毫院があったという。

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