京都紹介・・・秀吉が信長葬儀を行った大徳寺総見院
総見院は大徳寺22塔頭のうちの一つで、豊臣秀吉が織田信長の一周忌追善のため創建した寺である。本能寺で明智光秀の謀反で自刃した信長の遺体も骨も見つからず、秀吉は信長の木像を二体造り一体を荼毘に付しここに葬ったという。残る一体が本堂に安置されている。総見院には信長一族の墓があり、鐘・鐘楼はともに重文で、加藤清正が朝鮮から持ち帰った掘り抜き井戸や秀吉が千利休から譲り受けたという樹齢400年の市天然記念物侘助椿がある。また、お庭には茶室が三席あり、茶の湯とのかかわりの深さを見せている。
織田信長の木造が安置される総見院の本堂。総見院は特別拝観がある時しか見ることができない。 2013.11.19.撮影
創建当時の姿を残す総見院の鐘楼と鐘(重要文化財) 2013.11.19.撮影
千利休から秀吉が譲り受けたという樹齢400年の侘助椿(市指定天然記念物) 2013.12.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
墓地北側にある織田信長一族の墓(手前から織田信雄嫡男秀雄、信長二男信雄(のぶかつ)、織田信長(中央)、信長嫡男織田信忠、信長四男秀勝、信長七男信高、信長十男信好) 2013.11.19.撮影
中央が織田信長、右が信忠、左が信雄の墓 2013.11.19.撮影
一段下に信忠の姉徳姫(信長により切腹させられた徳川家康嫡男信康の妻)の墓がある 2013.11.19.撮影
西側に信長正室濃姫墓(五輪塔)があり、隣に自然石墓標の側室お鍋の方の墓が並ぶ 2013.11.19.撮影
近くの今宮神社には末社の紫野稲荷社に織田稲荷社が合祀されている。本能寺の変の時、遺骨を阿弥陀寺の清玉和尚が持ち帰り埋葬したという話があり、阿弥陀寺は寺町に秀吉により移転させられるが、その跡地に織田稲荷社が祀られていた。それが昭和62年にここに移されたという。 2013.11.19.撮影
織田稲荷社は阿弥陀寺跡(今出川大宮付近)にあったという。 2013.11.19.撮影
織田稲荷社は今宮神社の末社として現在祀られている。寺町の阿弥陀寺には織田信長、信忠や森蘭丸・坊丸・力丸ほか本能寺の変でなくなった家臣の墓がある。京都には織田信長信忠の墓は他に本能寺と円山公園近くの大雲院にもある。建勲神社は織田信長、信忠を祀っている。 2013.11.19.撮影
織田信長の木造が安置される総見院の本堂。総見院は特別拝観がある時しか見ることができない。 2013.11.19.撮影
創建当時の姿を残す総見院の鐘楼と鐘(重要文化財) 2013.11.19.撮影
千利休から秀吉が譲り受けたという樹齢400年の侘助椿(市指定天然記念物) 2013.12.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
総見院の3席ある茶室と庭園 2013.11.19.撮影
墓地北側にある織田信長一族の墓(手前から織田信雄嫡男秀雄、信長二男信雄(のぶかつ)、織田信長(中央)、信長嫡男織田信忠、信長四男秀勝、信長七男信高、信長十男信好) 2013.11.19.撮影
中央が織田信長、右が信忠、左が信雄の墓 2013.11.19.撮影
一段下に信忠の姉徳姫(信長により切腹させられた徳川家康嫡男信康の妻)の墓がある 2013.11.19.撮影
西側に信長正室濃姫墓(五輪塔)があり、隣に自然石墓標の側室お鍋の方の墓が並ぶ 2013.11.19.撮影
近くの今宮神社には末社の紫野稲荷社に織田稲荷社が合祀されている。本能寺の変の時、遺骨を阿弥陀寺の清玉和尚が持ち帰り埋葬したという話があり、阿弥陀寺は寺町に秀吉により移転させられるが、その跡地に織田稲荷社が祀られていた。それが昭和62年にここに移されたという。 2013.11.19.撮影
織田稲荷社は阿弥陀寺跡(今出川大宮付近)にあったという。 2013.11.19.撮影
織田稲荷社は今宮神社の末社として現在祀られている。寺町の阿弥陀寺には織田信長、信忠や森蘭丸・坊丸・力丸ほか本能寺の変でなくなった家臣の墓がある。京都には織田信長信忠の墓は他に本能寺と円山公園近くの大雲院にもある。建勲神社は織田信長、信忠を祀っている。 2013.11.19.撮影















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