京都紹介・・・映画の舞台ともなった復元模擬伏見城
入口となる伏見城模擬大手門 2011.8.1.撮影
公園にそびえる五層の模擬天守と三層の小天守 2011.8.1.撮影
公園にそびえる五層の模擬天守と三層の小天守 2011.8.1.撮影
城の石垣と五層の模擬天守 2011.8.1.撮影
城の石垣と三層の模擬小天守 2011.8.1.撮影
伏見城は豊臣秀吉が隠居所として1594年ごろに造った指月山伏見城と、1596年の伏見大地震によりそれが崩壊後、現在の明治天皇陵のあるあたりに秀吉が再建した木幡山伏見城がある。しかし、それも1600年の関ヶ原の戦い時には焼失落城し、徳川家康により1602年頃再建されている。以後そこで家康の将軍宣下から秀忠、家光の将軍宣下までが行われ、徳川の幕府が開かれた。京都では二条城の建設もあり、伏見城は家光により1623年には完全破却される歴史となる。廃城後は付近を桃畑とされたので、この辺りを伏見桃山と呼ぶようになったという。現在聳えている鉄筋コンクリート造りのお城は、1964年に北堀跡近くの桃畑に模擬天守として近鉄が建造したもので、当時は遊園地となっていた。しかし、それも2003年には閉園され、伏見のシンボルとしてお城だけは要望が多く残されることとなる。そして2007年には東映が映画の撮影に用いることを決め、装飾の改修を加えたりしたので、今も美しい姿を伏見城運動公園にとどめている。耐震上内部には入れないが、京都市伏見区のシンボルとなり、遠くからもその姿を眺望することが出来る。現在そこは落ちついた閑静な公園なので、お城の景観を楽しみながら、明治天皇陵の参拝も合わせて楽しむのもよいだろう。
公園にそびえる五層の模擬天守と三層の小天守 2011.8.1.撮影
公園にそびえる五層の模擬天守と三層の小天守 2011.8.1.撮影
城の石垣と五層の模擬天守 2011.8.1.撮影
城の石垣と三層の模擬小天守 2011.8.1.撮影
伏見城は豊臣秀吉が隠居所として1594年ごろに造った指月山伏見城と、1596年の伏見大地震によりそれが崩壊後、現在の明治天皇陵のあるあたりに秀吉が再建した木幡山伏見城がある。しかし、それも1600年の関ヶ原の戦い時には焼失落城し、徳川家康により1602年頃再建されている。以後そこで家康の将軍宣下から秀忠、家光の将軍宣下までが行われ、徳川の幕府が開かれた。京都では二条城の建設もあり、伏見城は家光により1623年には完全破却される歴史となる。廃城後は付近を桃畑とされたので、この辺りを伏見桃山と呼ぶようになったという。現在聳えている鉄筋コンクリート造りのお城は、1964年に北堀跡近くの桃畑に模擬天守として近鉄が建造したもので、当時は遊園地となっていた。しかし、それも2003年には閉園され、伏見のシンボルとしてお城だけは要望が多く残されることとなる。そして2007年には東映が映画の撮影に用いることを決め、装飾の改修を加えたりしたので、今も美しい姿を伏見城運動公園にとどめている。耐震上内部には入れないが、京都市伏見区のシンボルとなり、遠くからもその姿を眺望することが出来る。現在そこは落ちついた閑静な公園なので、お城の景観を楽しみながら、明治天皇陵の参拝も合わせて楽しむのもよいだろう。





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